卵巣胚細胞腫瘍

2018年12月07日

私の体験【最終話】

みなさん、こんにちは☀️
いつも霊波之光郡山支部青年部ブログ「RHKみちのく」をご覧頂き、ありがとうございます。
みつあみちゃんです。
 
私の体験【最終話】です。
 
それから、霊波94年(平成20年)3月に組長のお役を頂き、4月の定期検診にいくと、主治医から「残っていた卵巣嚢腫なんだけど、肉眼では確認できない大きさになっているね。良かったね。」と言われ、驚きと感謝でいっぱいでした。
 
そして、6年前に医大の定期検診を卒業し、現在は健康な体を頂いております。
 
また、昨年は青年部地区長として、二代様御誕生祭に携わらせて頂くという貴重な経験をさせて頂きました。
 
人に関わることがないより苦手だったのですが、ふれあいや仲間の和の大切さを教えて頂き、かけがえのないものになりました。
 
また、受付特定奉仕や組長などのお役を頂く中で、自分に足りないものを1つ1つ学ばせて頂いております。
 
救って頂いた感謝と初心を忘れず、これからも自分にできるあゆみを精一杯させて頂き、人類救済、世界平和のお役に立てるよう頑張って参ります。
 
御守護神様、二代様、私に命を下さって本当にありがとうございます。
 
今回で私の体験は終わりです。
 
最後までお読み頂きありがとうございました
御守護神様、二代様、我等人類救済の道へ、あゆませ給え
 
 
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2018年12月06日

私の体験【第5話】

みなさん、こんにちは☀️
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みつあみちゃんです。
 
私の体験【第5話】です。
行動がない時や、一人になった時、ふと「悪性だったらどうしよう。仕事がなくなってしまう。」と不安になったり、落ち込むこともありました。
 
それでも、すぐに励ましてくれる地区の青年部の仲間や、少年部担当員や取材員をさせて頂く中で、病気のことを忘れ一心にあゆめる環境を頂いていたことに感謝だと思います。
 
そして迎えた3週間後の検診では、2つあった卵巣嚢腫が1つになり、残ったものも4.5cmと小さくなって手術の必要はないということでした。医師も「2つあったものが1つになったわけでもないし、小さくなるなんて」と、とても不思議がっていました。
 
検診が終わり母に電話すると「御守護神様に感謝だよ。腫瘍が完全に消えていたら、良かったって終わってしまうでしょう?あなたがあゆめるように残して下さったんだよ。」と言葉が返ってきました。普通なら反発してしまうところですが、素直に受け止めることができました。
 
さらには12月のプラザ館の落成式に、友人と一緒に本部参拝させて頂き、年明けには郡山支部でお導きすることができました。
 
彼女から「何度か教会に行ってみて思ったんだけど、霊波之光ってみんな面白い人ばかりだね。なにより、明るくなったみつあみちゃんを見ていたら、私もこの信仰をしてみたいって思えたんだよ。」と打ち明けられ、本当に嬉しかったです。
 
今の私はうるさいくらいしゃべりますが、昔はすごく大人しく「はい」と「いいえ」しか言えないような性格だったんです。
 
 
次回に続きます。
 
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2018年12月05日

私の体験【第4話】

みなさん、こんにちは☀️
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みつあみちゃんです。
 
私の体験【第4話】です。
 
生活が充実していくにつれ、健康な体を頂いていることが当たり前になり、あゆみから遠のいていきました。
 
丁度その頃、青年部内の人間関係につまずき、「なにが思いやり?仲間の和?仲良しだけで楽しく固まっていればいいじゃない。私には関係ない。」と思うようになり、人を避けて参拝するようになっていました。
 
そんな日々が続き霊波93年(平成19年)10月末、手術からもうすぐ2年になる定期検診で、残してもらった左卵巣に直径6cmの卵巣嚢腫が2つ見つかったのです。
 
医師からは捻じれてしまうと危険なので手術して摘出するしかないと言われました。
 
また、卵巣嚢腫が悪性ならば抗癌剤治療をしなければならないとも告げられたのです。
 
ところが、次の検診の予約はすぐに取れず、3週間後になりました。
 
帰り際、「お腹に痛みはないか」としつこく聞かれ、「ちょっとでも異変を感じたらすぐ病院に来るように」と言われました。この時、本来ならあってもおかしくない痛みから御守りを頂いていたのでした。
 
私は病院から真っすぐ郡山支部へ向かいました。偶然はないのだと思います。その日、同じ地区の青年部の仲間が参拝に来ていて声をかけてくれ、当時の地区担当補さんを呼んで話を聞いてくれました。
 
その地区担当補さんから「ただの3週間じゃないよ。御守護神様から頂いた3週間だよ。今できることから精一杯させて頂こう。今日の夜、支部で青年部集会があるから参加しよう」と言われ、半年ぶりに青年部集会に参加しました。週末には家族で本部参拝し御神酒御祈願を頂くことができました。
 
地区でも青年部地区長さんが、すぐに「信者のための祈り」を呼びかけてくれて夜間布教が始まりました。
 
私の中で誰かにお伝えしたいという思いがあり、体調を崩し仕事を辞めていた友人に御守護神様のお話をさせて頂き、一緒に参拝することができました。
 
この時、お導きをすることはできませんでしたが「楽しかった。また参拝したい」と言ってもらうことができました。
 
 
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2018年12月04日

私の体験【第3話】

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みつあみちゃんです。
 
私の体験【第3話】です。
確実に病気を抑えるため、抗癌剤治療は続けることになりました。
 
回数を重ねるごとに吐き気や白血球の減少もひどくなっていきます。
 
髪の毛だけでなく眉毛や睫なども抜け落ちていきました。
 
血管も弱っているため腕から点滴することができなくなり、首の太い血管から点滴のラインをとることになりました。その処置を始める前に外泊許可が下りたので、自分で本部参拝し御神酒御祈願を頂くことができました。
 
御神酒御祈願を頂いての4コース目の治療は、先生たちも驚くほど元気に過ごすことができました。
 
この治療中、腸閉塞になったのですが、軽い吐き気とお腹の張りだけで全く痛みがなく、2日間の絶食だけで治ってしまいました。
 
そして、無事5コースの抗癌剤治療を終え、霊波92年(平成18年)5月14日に退院することができたのです。
 
治療がつらく弱気になりかけた時、それを見計らったように青年部や班の役員さんが病院に訪問にきてくれました。
 
また、両親だけでなく、普段は教会に行かない弟も日曜には正午の「世界平和結合の祈り」に合わせて郡山支部に参拝していたそうです。
 
私の7カ月に及ぶ入院生活は、家族と青年部の仲間、そして地区や班の信者さんに支えられたものでした。
 
退院時、普通の生活の戻れるまで、1年くらいはかかると言われたのですが、退院2ヶ月で入院前に働いていた図書館に、アルバイトとして復帰することができたのです。
 
また、当時の市民参加「花笠祭り」にも踊り手として参加し、少年部担当員や取材員としてあゆませて頂く中、仕事はアルバイトから臨時職員に格上げされたのです。
 
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2018年12月03日

私の体験【第2話】

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みつあみちゃんです
 
私の体験【第2話】です。
主治医から卵巣、子宮ともに全摘出することが告げられ、私は命が助かるならそれでいいと思っていました。
 
でも、両親への説明では状態が酷く、寝たきりによる浮腫みがあり、溜まった血栓が脳にのぼってしまう危険性や、出血が多ければ体力的に手術に耐えられず、亡くなる可能性があること、手術が成功しても、腫瘍が大きすぎて1度では取り切れず、数回に分けて手術をしなければならないこと、そして抗癌剤治療が待っていることが伝えられていました。
 
医大に転院したのは11月5日でした。その時は、手術室に空きがなく16日に手術が行われることになりました。ところが、転院の翌日には手術が10日の午後に繰り上がり、前日の9日には10日午前の手術がキャンセルになったため、午後から午前へ繰り上げて頂いたのです。
 
手術は5時間半かかり、30人分の血液を輸血したそうです。お腹の中では腫瘍が散り始めていたそうですが、短時間で子宮を見つけることができ、子宮を傷つけることなく、右卵巣を摘出するだけですむ御慈愛を頂きました。状態によっては何日入るか分からないと言われていた集中治療室も、手術翌日には一般病棟へ戻ることができました。
 
ところが、一般病棟に戻っても腸の働きが戻らず、なかなか食事をとる許可が下りません。そんな時、班長さんに勧められ自分で賛助会に入らせて頂くと、その日のお昼から食事をとることができるようになったのです。
 
ホッとしたのも束の間、すぐに抗癌剤治療が始まりました。治療はとても苦しいもので、月曜日から金曜日まで5日間、2本~3本の抗癌剤が点滴され、9日目と16日目にも1本ずつ抗癌剤が投与されました。
 
治療初日から40度近くまで熱があがり、白血球の数値も異常に下がったため、1コース目の治療は途中で中止になりました。それでも手術前に5000あった腫瘍マーカーを21まで下げて頂いたのです。
 
2コース目の治療は体力を回復するために年明けに延期され、年末には家に戻ることができました。
 
越年前夜祭と御札御下賜日に参拝させて頂き、年明け病院に戻ると、治療前の血液検査で腫瘍マーカーが21から正常値の4.3まで下がっていたのです。
 
 
次回に続きます。
 
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